ピカソの絵画はなぜ高いか。ここから格差を考える

参考文献 トマス・ソーウェル著 「入門経済学」より

労働価値説という考え方がある。物の値段は基本的にその生産に投下された労働量によって決定されるという考え方だ*1。私的所有権の根拠の一つとして、ロックが唱えた「ある物に自分の労働を混ぜるとそれは自分が所有していることになる」があるが、これはまさに労働価値説の出発点である。
しかし、労働価値説にも問題がある。それはまた、古典派経済学やマルクス資本論の問題点にもなっている。労働価値説が正しいなら、投下された労働量が同じとすると労働者が労働と交換で得られる利益*2も同じであるはずだ。しかし現実には一時間当たりに得るお金は人それぞれであるし、同じような作業をしても時給が違ったりする。なぜだろう。

この問題にソーウェルはいくつかの視点から説明を与えている。ここでは人的資本の話を取り上げよう。
まず画家が一時間で絵を描いたとして、画家は絵画を描く前に膨大なトレーニングの時間を投資しているからその分の価値があるという。ここからソーウェルは人的資本の話を展開する。つまり同じ一時間の労働でもスキルによって価値が違うということだ。単純に体を使うだけで良いなら若い頃が最も収入がよく次第に収入は落ちていくはずであるが、ほとんどの場合はそうではない。これはスキルが上がるからである。これは平等主義者にも比較的受け入れやすい視点だろうと思っている。ただ、人的資本の話だけではピカソが一日で高額な絵を描くということを説明するのは難しいように思う。

新古典派経済学は、限界効用という概念で全く新しい視点を導入する*3。限界効用の視点で大切なことは、労働者側の視点からではなく消費者の欲求から見るということだと思う*4ピカソの絵画は、それを高く評価し購入しようとする人間がいるからこそ高いのである。

ここで格差の話を考えてみたい。労働も需要と供給のバランスで価格が決まる商品の一つだ。まずたいていの人はここで感情的に反発する*5。労働者側からだけ見ていると同じように働いたら同じように評価されるはずだが、その労働の内容がどのように評価されるかで収入が決まってくる。専門分野が希少だと評価も高くなるのだ。
このようなことを考えずに格差だとか、同じ仕事なら同じ給与と言っても意味はないはずだ。

*1:労働価値説の中でも投下労働価値説の定義。ほかにも支配労働価値説もあるがここでは省略

*2:ここでは簡単にお金にしよう

*3:説明の都合上、人的資本の概念を限界効用より先に出した。スミスも人的資本を取り上げているが、一般にはルイスやベッカーが取り上げたことをもって人的資本に関する経済学というと認識している

*4:限界効用の細かい話は抜きで

*5:ソーウェルもそのように書いている