勤勉革命と単純労働

参考文献 マット・リドレー著 「繁栄 (下)」 p28、山田八千子著「自由の契約法理論」p188より


リドレーによれば、18世紀の日本は、牛や馬を使って鋤で農地を耕すことをせず、鍬を使って人力で農耕を行っていた。更にリドレーは、日本が自給自足に陥り衰退したと書いているが、山田が引用する網野の文献によれば江戸時代は交易も盛んで技術も進んでいたらしい。史実としては山田・網野が正しいように思われるが、リドレーが言いたいのは単純労働を動物や機械にさせ、人間はもっと生産性を高めていくべきということだろう*1

ここで考えたいのは単純労働のことだ。機械化やマニュアルの作成は単純労働に従事する人の賃金を下げる傾向がある。これをもって生産性を高めることを否定したり、マニュアルを多用する大企業を否定する論調が現れるのは残念なことだ。機械化やマニュアル化は、単純労働に従事する人自身が工夫をしなくても生産性を高め、製品価格を下げることで、結果的に賃金が少ない人でも製品を購入しやすくする。
努力が報われてほしい気持ちはわかるが、他人から見た付加価値という視点で考えなければならない。

追記 ブックマークで日本の農業人口が減って生産性が高まっている旨註釈して頂いています。ありがとうございます。補足させて頂くとそのような傾向がもっと続くことを期待しています。日本の農業の生産性はもっと高まるはずです。

*1:勤勉革命というのは日本人が鋤を捨てたことを皮肉ってリドレーがつけた見出しである。ここはリドレーに賛成で、勤勉という言葉は注意して使うべきだと思った。付加価値を生み出すという意味での勤勉は良いことだろうが、何の工夫もなくただやり遂げました、という意味ならあまり良いことだとは言えない。