リバタリアニズムの普遍性

slumlordさんの問題提起より。


つぶやき1

蔵さんやfuyushaさんがされているような進化的、遺伝的な見地からの人種、性別、地域間の違いに関する議論は、個人的には興味深いが、積極的に論じているリバタリアンは余りいないイメージがある。リドレーもそうか。


つぶやき2

これは、どちらかと言えばリバタリアニズムが人種、性別、地域を超えて普遍的に適用可能な考えであると論じられていることが影響しているのかもしれない。


つぶやき3

ぼくもリバタリアニズムの中心にある自己所有権(self-ownership)」や「非侵害公理(the non-aggression axiom)」というのは1種のuniversal ethicsだと思っている。


私もリバタリアニズムの根幹をなす自己所有権は普遍的なものだろうと考えている*1。ロックからロスバードにつながる所有権基底的な考え方にも共感するし、DDフリードマンのような帰結主義からのリバタリアニズムの議論にも納得できる。更に社会契約からリバタリアニズムを支持する議論にも特に反対する理由は見当たらない。それぞれの考え方に相違はあれ、目指すところはほぼ同じ、という感じだ。リバタリアニズム内部で人種差というのが問題にならないのは、社会には多様な人がいるというのが前提だから、人種差などがあっても問題なしという考えなのだろうか。単に今まで関心が向いたことがないのだろうか。それともリバタリアンは「心は空白の石盤説」の信奉者ばかりなのか。もう少し考えてみたいテーマだ。
以上はリバタリアニズム内部の問題。

次は、リバタリアニズムの外に目を向けてみる。すると、自由というものにさほど重きを置かない人がいることも事実。でなければ、これほど規制などが無批判に支持されることはないだろう。原因の一つに平等というものをどう捉えるかということがあるようには思うが…。

政策的には、自説の繰り返しで申し訳ないが、極力規制の少ない社会*2をベースに、自分の納得するコミュニティに属するというのがいいかなと思っている。ゲーム理論的な均衡に至るかは不明だが。
次善のアイディアとして地方分権を進め、連邦政府は司法・国防・外交のみ、自治体間の再配分なし、というのも考えてみたがどうだろう。

IQ差をどう考えていくかという問題は、人種差のみならず個人差でも扱いづらい*3。生まれつきのものだとすれば、能力税*4のようなものを想定する必要が出てくる。ただ、IQイコール収入でもないわけで、社会的な能力の近似である収入に課税することになるのだろうが。

まとまりがないが、アップして意見・批判を頂こう。

*1:ロスバードなどは非侵害公理は所有権の理論から演繹できると考えているはずだ

*2:できれば無政府社会

*3:IQなどは政治問題になりやすいが、身体能力などの差は問題視されにくいのが不思議である

*4:有能とされる人には収入に関係なく高い税を課す