フリーライダーと民族性

フリーライダーについてもう少し考え、遺伝のこととの関連をまとめてみた。

wasting time?さんの考察はもっともで、規制による弊害は薄く広くなので目につきにくいのだろう*1。今後、この二つを論じていくには市場に自然発生的に出てくるフリーライダーの弊害と、規制に寄生するフリーライダーの弊害を比べていく必要があるだろう。直感的には、市場に出てくるフリーライダーの方が実害は少なく、効率的に排除されそうだが、実証データなどが欲しいところだ。

フリーライダーの話から少しそれるが、政府に対しておおむね肯定的かどうかは民族性があるように考えている。政府に対して肯定的というのは規制を素直に受け入れ、規制に寄生するフリーライダーを容認することにつながるはずだ。

さて、どうして民族性があるように考えるかというと、ヨーロッパにおける科学技術の進歩と中国の停滞を比べてしまうからだ。羅針盤、火薬、印刷術は中国で発明されたにもかかわらず、実用化したのはヨーロッパであった。中国はかつてあれほどの帝国を築いたにも関わらず、科学技術に関しては完全に停滞していた。科挙という有能な人間を採用する優れたシステムを生み出したにもかかわらず、その内容は古典の丸暗記とその引用であった。新しい技術を生み出しても評価されることはなく場合によれば追放や死刑であった。今でも「科学は未完成だが東洋の占術は完成している」などという発言をする人*2を見かけることがあるが、単に伝統があるというだけで価値があると考えがちなことを端的に示しているように思う。
これは文化の問題だけではなく、DRD4などが関係する新奇探索傾向に原因の少なくとも一部があると考えるべきなのだろう。保守的というのと規制を受け入れるというのは完全に同じではないが、伝統や政府・官僚への信頼は同じところに根ざしていると考えるのは私には自然な流れなのだがどうだろうか。

*1:コメント感謝致します

*2:日本人