思いやりの考察

参考文献 超ヤバい経済学、人は意外に合理的より

初期の行動経済学の結論から更に踏み込んだ面白い話が「超ヤバい経済学」に載っている。ゲーム理論や実験経済学とも関連する話だ。話のポイントは、初期の行動経済学で唱えられていたほど人間には思いやりはないだろう、ということ。思いやりがあるとされたのは、実験室という特殊な環境ゆえではないかということだ。似たような話は「人は意外に合理的」にも載っていて、人が不合理な行動をとるといっても環境への慣れなどで行動が合理的になってくることが指摘されている。もちろん、行動経済学がだめだというのではなくて、より踏み込んで研究していくべきだということなんだろうけれど。

さて、ここでその話を取り上げたのは思いやりに付いて考えたいからだ。「超ヤバい経済学」の記載が正しいとすると、思いやりというのは人の目が合った方が発揮されやすいということになる。
本題に入ろう。アナルコキャピタリズムの世界では、本当に困った人には手が差し伸べれるはずだされている。私もそのようなことを書いて来た。上の結論からすると、困った人を助けたことを多いに賞賛するような仕組みがないとアナルコキャピタリズムの世界で貧しい人は救われないだろう。つまりアナルコキャピタリズムの成立には、クチコミを生かしていかなければならないようだ。これは蔵さんの「無政府社会は評判が大切になる社会」と言う言葉そのものである。
一番良いのは、思いやりそのものを市場に乗せるような方法を考えることだろう。貧困対策をするNPOがどれくらいうまくやったかを評価するような仕組みだ。これならNPOも切磋琢磨するし、情報の非対称性も減って来て業績の良いNPOに寄付することが楽になるだろう。よいNPOに寄付することが寄付した人のよい評価につながるような仕組みがあればなおよいだろう。

そのNPOの支援からこぼれた人はどうなるかだとか問題は色々あるだろうが、一応議論の出発点としてあげておく。