信頼の視点からリバタリアニズムを考えてみる

参考文献 マット・リドレー著 「繁栄 (上)」 p128, 142より

市場を利用して生活していると、協力と公平性と個人を尊重する社会を築く。閉鎖的な社会の方がむしろ、偏狭なまでに合理的である。つまり、リバタリアンの理想とする社会では人は自発的に偏狭な利己主義を押さえる。
また、人々が信頼し合うと社会は繁栄する。経済発展の前に信頼の増大があるようである。


slumlordさんのTwitterより
その1

タイラーの議論を簡単にまとめると次のようになる。リバタリアンは、公共財は政府によらず民間でも供給可能と主張する。つまり、自発的協力関係により、囚人のジレンマが克服できるというわけだ。

その2

そのいっぽうで、自由市場ではカルテルは成り立たないとも主張する。だが、これは裏返せば協力関係は崩壊する、つまり囚人のジレンマが成り立つことを意味する。 リバタリアンの以上の主張は矛盾していないだろうか?これがコーエンの議論の要旨。かなり説得力があるように感じるがどうだろう。


矛盾してそうなリバタリアンの主張だが、カルテル自体が消費者の信頼を裏切っているのか、という気はする。リバタリアン社会は安心社会ではなく信頼社会という仮説を持っているが、多分正しいと思う。それにしてもタイラー・コーエンの着眼点も鋭いが、slumlordさんのまとめもいい。

ドラッグ解禁にしても、リバタリアンの前提としてほとんどの人はドラッグをやらないかやっても他人に迷惑をかけないようにするだろうということがあると思う。それが正しいかと言われると立証は難しいのだが。これも信頼の問題のように思う。