災害と経済発展と

ミャンマーのサイクロン、中国の大地震、今回の東北の地震でいろいろと考えてみた。
まず、アマルティア・センのことから始めたい。センはアジア初のノーベル賞経済学者である。ただ、その思想はリバタリアンからはかなり距離がある。今回はその実証研究で教育や市場の重要性に付いて触れた部分を参考にしたい。
センの講演をまとめた著作で繰り返し触れられるのが教育の重要性である。教育が経済発展を促すこと、基礎教育が行き渡り自由な市場があるところでは飢餓は発生しないことを実証研究で明らかにしている。リバタリアンなら感覚的に当たり前の内容だと思う。では今回のサイクロン・地震で同じような考察ができないだろうか。もちろん、飢餓よりサイクロン・地震は避けることが難しい。起ることはしょうがないがその対応に付いて似たようなことを考えてみたいのである。
では、政府の役割に付いて考えてみる。リバタリアンの中でも、古典的自由主義者とアナルコ・キャピタリストでは今回の災害に対する政府の役割に付いて明確に意見が分かれることだろう。ただし、以下のことについては両者から同意が得られることと思う。それは、「経済が発展するほど、自発的であれ政府からであれ災害の際にお金を回す余裕ができる」ということだ。
サイクロンについては、日本の技術水準なら進路の予知が可能である。ここは地震と決定的に違う。明らかに経済発展が被害を小さくする。また、経済発展が地震とサイクロン両方に対して強い家屋・ビルを建設することを可能にする。また、経済発展が進んでいる方が復興も素早いであろう。少なくとも現在までのところ*1全体主義国家よりは自由主義国家の方が経済発展はスムーズに進んだのであるから、自由主義国家の方が災害に対してよりよい対応ができると断定してよいだろう。
ではこの極限の状態で無政府と限定的な政府のどちらが良いかであるが、私にははっきりしない。災害現場では、強権的な行動が必要なケースも想定されるからである。ただ、被災地への援助に付いては、竹内靖雄の意見が参考になるかもしれない。それは税金が高いと、税金を払っているからこれ以上助ける必要なしという考えが強くなるだろう*2というものである。
こうなると、何年か前のアメリカ合衆国のハリケーンによる大災害を考察する必要が出てくる。最近では規制だらけとはいえ、アメリカ合衆国自由主義の牙城の一つである。上記の論理で考えるならアメリカ合衆国でハリケーンが近づいてくることはわかっていたのに逃げ遅れた人が多数いたのは説明がつかない。報道されていた情報が正しいとすれば、貧困層が取り残されたということであった。とすればアメリカ合衆国でも貧困の解決が必要なのか。
これに対しては全体主義者とリバタリアンで正反対の解答が出てきそうで面白い。全体主義者は格差是正と称して政府の介入を増やし、より徹底した所得の再分配を正当化するだろう。それに対し、リバタリアンなら、税金経由で福祉に回るお金が以前よりずっと増えているのに問題は解決していないことを指摘するだろう。リバタリアンの答えはまだ経済の底上げが足りないからおよび規制が邪魔をしているからということになるかもしれない。

*1:今後もそうだと思われるが

*2:記憶で書いているので正確な引用ではなく、内容に不備がある場合は当方の責任です