問いのたて方

世の中、問いのたて方が間違っているから迷走するということが多い気がする。そして、経済学の答えが道徳的直感に反することがあるのも原因かもしれない。
例えば、環境問題が典型である。「きれいな空気と汚れた空気、どちらがいいですか」とそれだけ聞かれたら、まず全員が「きれいな空気」と答えるだろう。しかし、現実の大気汚染を考える場合、このくらいの汚染の程度なら人体に被害が出てくる、この汚染を除去するのにこれくらいの費用がかかるなどという問題を抜きには答えは出せないはずだ。最初の問いが現実問題を考えるにはあまりに単純だと言うことである。また、ある程度は汚染を許容するという考え方自体が道徳的直感に反するのかもしれない。
似たような問題に「殺人事件のない町」という課題がある。最初に断っておくが、全体を読んでいただかないと誤解を招くこと必至である。
誰でも殺人が起る町に住みたいはずはない。しかし、絶対に殺人が起らないようにするには、住人一人一人に監視をつけ、さらにその監視が殺人を犯さないように監視をつけて、としなければならない。こう考えていくと道徳的直感には反してもある程度は殺人を許容する社会体制を受け入れざるを得ないはずだ。ただ、気をつけなければならないのは、殺人を許容すると書いたからと言って殺人を推奨する訳でもないし、殺されることを望んでいる訳でもないのである。社会のコストを考えるとそのような犯罪が起きるのをゼロにはできないということが言いたいのである。しかし、このような道徳的直感に反するようなこと、どのくらいの人が納得するんだろうか。
以上、typeAさんのエントリーについて私が思うところの補足でした。