自由の構造(5回目)

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第11章は権利侵害と(犯罪に対する)矯正のために、正当防衛と損害賠償に頼るべきだと言うバーネットの意見に対する反論への反論である。つまり懲罰刑は不要だという自分の意見の論証である。
まず、分散された所有権がいかに犯罪を減らすかを説明する。この辺りは典型的なリバタリアンの議論である。路上犯罪は「公的な」道路だから起るのである。所有権がはっきりすれば所有者は適切に管理するインセンティヴを持つ*1。また、公的な存在の場合、政府の権限を適切に管理しようとしてその力を制限するなら、危険な人物を排除するのにも制限が加わってしまう。
次にバーネットは抑止刑(懲罰刑)に否定的な見解を述べる。この辺りはリバタリアン内部でも意見が分かれそうだ。バーネットは懲罰刑は不道徳であり犯罪予防には役立たないことを論証する。さらに、自衛権の方が犯罪防止に有効であることを論証する。この部分は銃の所持が合法化されていない日本とは感覚が違うように思うが、興味深い。
第12章は、権力による法執行濫用に対する考察である。まず、単一権力原理自体に問題があることから議論を始める。どのような人間が権力を持つべきなのかという「選択」の問題、権力を望むものがよい人々から権力を奪い独占するのをいかに防ぐかという「簒奪」の問題、権力を握った人間が堕落する「腐敗」の問題、ほとんどの人々は権力を握った人間がすることをそのまま正当だと見なしてしまう「正当性」の問題を挙げる。次に対策として、互酬性、抑制と均衡、退出の力を挙げる。互酬性とは、無記名による投票で権力が独占されないようにすること、抑制と均衡は権力を分散させること、退出の力とは住民が権力を見限り出て行くことによって結果的に権力が成り立たないようにすることである。現にアメリカ合衆国では州により法律が違うせいで企業設立や離婚に際しての移動が日常的である。

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*1:路上喫煙に関して同じような考察を以前に行った。蔵さんはショッピングセンターでは犯罪が少ないことについて「無政府社会と法の進化」で考察している