自己責任はどこまで成立するか

保険や年金をどうするかは、リバタリアン福祉国家論者で最も意見が分かれるテーマに違いない。個人的には、民営化した方が効率がよいというリバタリアンの意見を支持している。ただし、生保・損保の不払い問題をみても競争が不十分な市場では問題が起こることも事実であろう。
それよりも問題は「自己責任だからといって未加入」という人たちではないだろうか。現在の年金システムでもこの人たちは年金を受け取れない訳だが、最悪の場合は生活保護という救済がある。もちろん現状では事情があって生活保護を受けざるを得ない人たちがいることは承知している。この事情がある人たちをどのように扱えばよいかは今のところ議論の対象外とする。では、経済学で言う「フリーライダー」をどのように扱えばよいのか。自己責任だと言って国営の年金にすら加入していなかったような人たちは、保険や年金が完全に民営化された世界では「自己責任」で切り捨てられてしまうのだろうか。リバタリアンならそれも仕方ないというだろう。正直、筆者も8割くらいはこの意見に賛同する。残り2割は、「人間は完全には合理的でない」ということから何らかの救済措置は必要かもしれないと思っている。「誘惑される意志」の記載が正しいとすれば、人間は長期的なメリット*1と目先の利益で評価を間違えてしまう可能性のある生き物だから。規制・強制ということを極端に嫌うリバタリアンの世界ではあるが、みんながハッピーということを考えれば、保険や年金が完全に民営化した世界でもそれらへの加入は「強く推奨」されるべきだろう。おせっかいだと言われそうであるが、リバタリアンといっても完全に合理的な思考をしているわけではないはずだから。

*1:まさに保険や年金問題である