神は後から

「多くの人が神はいると考えるのだから神はいるのです」と主張する人がいる。この論法だと、人が先、神は後ということになり、世界を作ったのは少なくとも神ではないということになる。この人の考える神ってそういうものなのか。
ちなみに、「アナーキー・国家・ユートピア」のノージックは「考えることを考える」で、神が持ち上げられない石のパラドックスについて触れていた。「生の中の螺旋」では神を肯定していたように記憶しているが、リバタリアニズムに対する態度同様、神に対する態度も変化したのかもしれない。