差別とリバタリアニズム

蔵さんの「海賊の経済学」に関する二つのエントリー(こちらこちら)のうち、後者に関して。

リバタリアニズムで誤解されがちなことの一つに「差別の肯定」がある。リバタリアニズムは、個人は何を考えようが自由だから当然差別も肯定する。しかしこれはリバタリアニズムの一面しか見ていない。当たり前のことであるが、大部分の人の公平感に反する発言をする人は、周囲の人から公然と差別されてしまうだろう。報復による差別の抑制である。

リバタリアニズムとは公平感は縁が薄いのは事実である。しかし、自由を重要視する人は肌の色による差別などしないだろうと思っている*1。それはアメリカでの黒人奴隷解放の歴史を見てもわかる。原理的に差別を許容するのと、そのような行動を積極的に推奨するのは全く違う。リバタリアンの考えというより個人的な思いだが、リバタリアンが人を差別するのは、その人の行動を見てだと思っている。

参考動画
http://www.youtube.com/watch?v=hwpNQ1NWzOU

*1:私的所有権の絶対性との連想からか