中東の革命と共通善

中東の革命の報道を見ていて少し考えた。私自身のイスラム教への理解は不十分だと思うので、以下の話はイスラム教がきっかけになったと思ってほしい。

イスラム教の特徴は、ライフスタイルから法律まで宗教によって決められていることである。もっとも、国によってかなり様子は違うから解釈次第なのかもしれないけれど。私の個人的なイスラム教のイメージは、その内部で生まれた人間にとってはイスラム教は「共通善」のはずで、そこからの逸脱など考えもしないだろうというものだった。冷静に考えれば、各国で解釈の違いから様々な文化、法が生まれているのであるから、イスラム内でもぶれはあって当然なのだろう。それでも先ほど書いたような思い込みから、今回のイスラムの世界での動きは私には意外な感じがしたのだ。

さて、取り上げたいのは「共通善」である。今はやや下火になったが、サンデルブームがきっかけで話題になった言葉だ。共同体には共通善が必要で、それが絆になるというのがサンデルの主張の一つだが、中東の様子からすると宗教は大規模な集団の共通善にはなり得ないのだろう。共通善の考え方は皆が納得できる善きものということだろう。そこから離脱するということはそのコミュニティが共通善としていたものは共通善ではなかったということなのか。中東の様子を見るに、人間の価値観は文化の影響を強く受けていても相当多様で、共通善をサンデルのような形で規定するのは難しいのではないかと思う。