EBM

医学にEBM(evidence-based medicine)という言葉が登場して約20年になるだろうか。EBMのもっとも原始的な形態は、「この治療法が効く」「いや、あの治療法の方が良い」という論争だろう。まじないと医学の区別がないような時代に、権威主義的な*1伝承から一歩抜け出すことこそEBMの第一歩だったのだろうと考えている。次第に症例報告などを載せる学会誌のような物が出来上がったことは今から考えれば当然の成り行きのようにも思える。ただ、秘密の治療などという権威あるいは独占の利益を手放すのは実際にはなかなか難しかったのかもしれない。
症例報告が集積すると、診断のためのクライテリアがはっきりし、統計学によって治療法の善し悪しにけりが付くようになって来た。
おそらく、現代医学で言うEBMの位置づけはこちらを見て頂くとして、evidenceを求める現場の意識は次のようなものであろう。
1.まず統計でふるいにかける。このふるいに残らないものは理論を考える前からだめだろう。
2.分子生物学的な発見からは以下のような理論が予想される。薬もできた。患者の同意のもと、臨床試験をしてみよう。でも統計上、有効というデータが出ないと理論はともかく、薬はだめだな。いや、そもそもそ理論が間違っているのかもしれない。
3.理論は怪しいけど、統計的にどうか見てみよう。あれ、統計上有効そうだな。じゃあ、理論を考えるか。
4.ガイドラインを作れば全体の医療レベルは上がるだろう。(訴訟も減りそう)

以上のように、学術的なEBMの捉え方はともかく、本当に有効か統計で見てやろうというのがevidenceを求める現場の捉え方のように思う。一例として、最近、ウジによる創傷治癒効果が注目されていることをあげておこう。もちろん、衛生的な環境で育てられたウジである。現場ではとりあえず有効そうなものを試し、統計で本当か見る、というのがEBMであるように思う。

その意味では、現在怪しいとされているものでもEBMの対象とならないことはない。統計上どうかというのが先で、理論は後付けという場合もあるから。

なお、EBMの話はもっと奥が深くて、ガイドラインを目の前の問題にどのように用いていくかがもっとも大切なのだろうけど、まずは議論の発端として。蔵さんの考えに響くものはあったでしょうか?

*1:神のお告げなど