自由と平等は両立するか

anacapさんのつぶやきに触発されたエントリー。

富める者は富み、そうでない者も富むというのが資本主義であり自然です。市場は中流下流を引き上げる最も良い仕組みです。担保すべき平等というのがあれば自然権だけでしょう。

anacapさんの説明は簡潔かつわかりやすい。
リバタリアニズムでは全く平等というものを顧みないというのはリバタリアニズムを理解しない人の完全な誤解だ。確かにリバタリアンは経済的な格差などは容認する。しかし、すべての人間が自分の財産を自由に処分でき、自己決定権を持っているという点ではリバタリアンは極端な平等主義者であると言える。
持てるものと持たないものの格差を強制的に小さくしていくことが大切なら、以下のことも行わなければならないだろう。例えば明晰な頭脳を持つものは考え事ができないように常時不快な音を聞かされるとか、体力のあるものは動きにくいような器具をつけられるとか*1。そうすると、このような強制的な格差の是正に意味がないことがわかるはずだ。更に、機会の平等という概念にもリバタリアンは反対する。しかし、たいていの人はこのような考えがすんなりとはわからないだろう。結果の平等を求めるのが行き過ぎだという人でも、機会の平等は必要だという人が多い。しかし、究極的に言えば、どの家庭に生まれるか、どこの国に生まれるのか、どの時代に生まれるのかなどは完全には平等にはできない*2。従って機会の平等も実現不可能であると言える。

参考
 

政府は人々を平等にするのではなく、平等に扱わなければならない。


シャンド、自由市場の道徳性より

*1:この辺りはノージックアナーキー・国家・ユートピアに詳しい

*2:ロスバードの説明を参考にした