福祉国家とアナルコキャピタリズム

不況のため、自由主義への風当たりは強い。しかし、福祉国家あるいは社会主義共産主義を支持する人々の批判は的外れである。福祉国家を支持する人々が本気なら、アナルコキャピタリズムを支持するはずだし、その世界で救われない人がいることはあり得ないのだ。前回のアナルコキャピタリズムの上の共産主義という話を利用してそのことを説明してみたい。*1
アナルコキャピタリズムの社会では、いわゆる福祉の対象になるような人に対して、
1.経済効率が高まるため、経済的な困窮という問題は少ないはずである。
2.福祉の分野でも市場の力つまり民間企業の力が生かされる。同じような福祉を行うにしても効率が良いはずである。
3.自分で保険に入っておくことで対策する。その保険も効率的なはずである。
4.ボランティアや寄付など。
このような順序でセーフティネットが形成されると説明がされていることだろう。
しかし、福祉国家論者たちは、それでもすべての人が救われるとは限らないから国家による対策が必要だと言う。では彼らが本気だとしよう。ならば彼らこそアナルコキャピタリズムの社会を支持するべきだ。アナルコキャピタリズムがベースの社会で福祉国家に似たコミュニティを作れば、福祉国家論者は好きなだけ救われない人たちをそのコミュニティに集め、好きなだけ福祉を充実させることができるからだ。従って救われない人がいることはあり得ないし、福祉が充実しないはずがない。彼らの思うことはすべて実現することができるのだから。
予想されるのは財源がないということだが、それは彼らの考えが間違っていたことの証明になってしまうだろう。今まで財源など無視して要求ばかりしていたことがはっきりするからだ。本来、世界のリソースは有限であり、無尽蔵に福祉としてばらまくことはできないことがわかるだけだろう。
自腹で行う福祉は美しいが、他人の金を当てにして行う福祉は偽善的である。偽善でないと言いたいのならアナルコキャピタリズムを支持し、自分たちだけで福祉コミュニティを作るべきだ。*2

*1:anacapさんが前回のエントリーを取り上げてつぶやいてくれていたようである。とてもありがたいことである。

*2:生活保護を申請する手助けより就労支援の方がいいと思うのだが、そこに目が向く人は少ないのと似ている。