公園は誰の物か

少し前に渋谷で宮下公園の命名権売却に対するデモに出会った。デモ隊の主張を検討してみる。
・大企業に命名権を売却するな
これに対しては、揚げ足取りのようであるが中小企業への売却ならよいのかと思った。企業を悪と見なす思考パターンに対して私は否定的である。企業が悪かどうかは法に抵触する行動をとっているかどうかで判断すべきである。ただ、このデモ隊の主張には後で取り上げるように非常に大切な論点がある。
・我々の表現の場を奪うな
命名権が売却された後、公園が使用できないのなら問題として取り上げる価値がある。
・公園に住まざるを得ない人たちの生活の場の問題
これを命名権の問題と絡めるのはおかしいように思う。彼らの生活のことを考えるのならストレートに、デモ隊がボランティアとして就労支援や生活支援を行うべきである。個人的には公園に住まざるを得ない人たちに公園のような環境で生活を続けさせることを支援するのはそれこそおかしいように思う。
私自身が問題と考えたのは、タイトルにもした「公園は誰の物か」ということである。区が管理してるのなら、区民みんなの物ということになるのであろう。みんなの物なら確かに大企業に限らず、特定の個人・法人に命名権を売却することの是非という問題その1がある。これと絡んで、特定の個人・法人が管理する場合、誰でも利用できるのか、という問題その2が出てくる。

問題1について考えてみる。そもそもの問題の源は、「みんなの物」という所有権のやや曖昧な部分にある。共有地の悲劇である。みんなの物なら、逆に特定の法人が運営に関わる権利もあるはずだし、事故が起きた場合の責任もみんなにあるということになる。しかし、公園で事故が起きた場合、行政の責任という声はあっても自分たちの責任という声を聞いたことはない。これは大問題だろう。管理は行政というなら、行政が更に管理を委託するつまり命名権の売却するのにも文句は言いづらいのではないか。この問題の解決法として、所有権の部分的な売却つまり命名権を売却することで管理してもらうということに賛同する人は多いはずだ。より整備された公園を利用したいという需要はあるはずだし、その企業に肯定的なイメージを持っている人も多いはずだからである。その企業が嫌いなら、利用しなければよいのだし、逆に命名権の売却が盛んになれば市場で競争が起き、その中にはデモ隊の人たちが気に入る公園も出てくるだろう。更にはNPO法人を立ち上げ自分たちが命名権を買い取る方法もあるだろう。

次に問題2について考えてみる。特定の企業が命名権を取得すると、公園の利用が有料化されるという意見もあるようだが、そもそも公園の管理料は無料ではない。今でも税金として徴収されているのである。むしろ利用したときだけ費用を払う方がよいと私自身は考える。また、現状なら広告費として管理費を出し、利用料は無料というモデルもあり得る。有料ならサービスを改善しないと利用してもらえない。また、上でも書いたが現状のスタイルの公園がよいなら、デモ隊の人たちがNPO法人を立ち上げて賛同する人からお金を集め、命名権を買い取った上で自分たちの望むサービスを提供することができる。もちろん、生活に困った人たちに住んでもらうことも可能である。

やはり問題は所有権に行き着くのだ。本当に部分的でもよいから公園民営化を考えていくべきである。