錦の御旗

世論を動かすには錦の御旗が必要だ。しかし、本当に錦なのだろうか。
最近は下火だが、一時「少年犯罪の増加」が錦の御旗になっていた。今の少年はすぐキレる、とんでもないとされていた。裏返すと昔はよかったと言いたいのである。確かにとんでもない少年犯罪はある。これは間違いない。しかし、昔の方が少年犯罪は多かったし内容もひどかった。すなふきんさんのこちらはとてもよくまとまった論考。錦の御旗にみんながついていくよい例である。
同じ構造が耐震偽装問題でもあった。細かい検証については、魚住昭著「官僚とメディア」を読んでもらうとして、ヒューザーの小嶋氏は直接偽装を指示した訳ではなかった。しかし世の「何か一言言いたい人たち」は鬼の首を取ったように小嶋氏や木村建設の木村氏を極悪人扱いした。中には占いの「人相」で悪人だと決めつけた人もいたようだ。まあ、非の打ち所のない善人という訳ではないようだが、それでもやっていないことを理由に彼を非難した人は間違ってましたと言うべきだろう。
もう一つ、環境問題についても同じような違和感を感じることがある。今は「環境に優しい」が錦の御旗なのだ。ビョルン・ロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」によれば、ほとんどの環境問題については改善がみられるようだ。つまり「環境がどんどん悪化している」という思い込みは間違いなのである。温暖化についても現在の対策がベストか疑問のようである。この本に対する批判は多いが、この本のスタンス「データに基づいて考えていこう」に対抗できるデータに基づいた建設的な批判は少ないように思う*1

*1:なくはないようだが