健康食品やダイエットの経済学

なぜ人はダイエットに大金を費やすのだろう。また、どうして代替医療や怪しげな健康食品に群がるのだろう。


つい先日もマスコミの納豆ダイエットが問題になった。マスコミ側の問題点としては視聴率至上主義が問題にされている。また、視聴者側の問題としてリテラシーが取り上げられていた。実は今回のケースでは、視聴者がそれほどマスコミに踊らされていたとは思えないのだ。短期的にみれば、かつ結果(納豆が売り切れた)をみれば踊らされていたんだ、という指摘は正しいと思う。しかし、納豆ダイエットが捏造問題として取り上げられなくても、いずれ納豆ダイエットなんか誰も効果があるといわなくなっただろう。少なくとも「いずれ」という部分には同意していただけると思う。じゃあなんでみんなこの話に乗ったのかということを経済学の「人間は目的を持っており、それを達成するために合理的な手段を選択する」という仮定を使って考えてみる。


まず、どんな目的を持っているか。これは痩せたいというシンプルなものだろう。その背後には美容や健康と関係する様々な目的があるだろうが、ここではそれは問わないこととする。では、ダイエットするためにどのような手段を選択することが合理的だろうか。少なくとも今回納豆に走った人の考えとして合理的だろうか。まず、楽に痩せたいということ、そしてデメリットが少ないということだろう。
楽に痩せたいということについて考察する。納豆を毎日食べるだけならそんなに負担がないと視聴者は思ったのだ。金銭的な面だけではなく、心理的身体的な負担も含めて。ダイエットの場合、金銭面よりも心理的身体的な負担が少ないと宣伝する方が遥かに受けがよい。散歩したり甘いものを控えるのはほとんどお金がかからないのにも関わらず、ダイエット法としてあまり人気はない。これは金銭というコストよりも時間や手間のコストを重視しているということだろう。時間や手間の部分を解決するサービスを購入しているといってもよい。
そして効果についての捉え方であるが、おそらく納豆を毎日食べることで劇的に痩せると思った人はほとんどいないと思う。たいていの人は納豆を食べた経験があり、中には毎日食べている人もいるだろう。それでも劇的に痩せているなどという話はなかったから、完全に信じていたという人はいないはずだ。では、なぜその話に乗ったかというと、効果がなくても毎日の食事の一部として食べているならそんなに被害はないと考えたのである。経済学的には、ほかの料理を食べる機会を放棄しているのであるが、そこには思い至らないのであろう。もう一つ、保険のような考えもあるはずだ。効果はあまり期待できないけど、手間やお金もあまりかからないし、万が一効果があったときに自分だけおいていかれるのは嫌だから保険をかけるよう意味でやってみよう、という。
結局、費用(金銭だけでなく手間や心理的な負担も含む)と利益を天秤にかけてそれなりに合理的に行動していたのだ。


納豆ダイエットは眉唾であったが、少し話を広げてダイエットビジネス全般についても同じ構造があることを書いてみよう。真っ当なダイエットも含めて、である。
ダイエットの場合、次のダイエットの基本公式からダイエット法の分類ができる。
(蓄積されたカロリー) = (摂取カロリー) − (消費カロリー)
これを負にするのがダイエットだ。そのためには、摂取カロリーを制限する方法と消費カロリーを増やす方法、あるいはその組み合わせがあり、これらに該当しない方法はそれだけで効果がないといえる。もっとも、これらに入ると考えられるものでも実際は効果がないとされたダイエット法もあるのでこれだけで判断はできない*1。摂取カロリーを制限する方法としては、甘いものを控えること、あるいはトートロジーに過ぎないが食べる量を減らすことがあげられる。消費カロリーを増やす方法としては、運動があげられるだろう。
ここでどうしてダイエットが失敗するか考えてみると、甘くて美味しいものをたくさん食べるのも、ゴロゴロしていたいのも人間の本能だからだ。常に飢えていた状態で生き延びてきた人間はカロリーが高いもの(美味しいもの)をたくさん食べるようにインプットされており、また余分なカロリーは使わない(楽したい)ようになっているのである*2
ここでダイエットビジネスの登場である。インチキか真っ当かを問わず、基本的にはどのモデルも「摂取カロリーを減らす手間や心理的負担を軽減するサービスを売る」あるいは「消費カロリーを増やす手間や心理的負担を軽減するサービスを売る」ものである。例えば、医学的にも正当だと考えられるフィットネスクラブでの運動を考えてみよう。運動なんて自分でやってもよいのであるが、フィットネスクラブと契約する理由は設備が整っているからではない。少なくともメインの理由ではない。「契約したらその元を取るために利用するようになりますよ、そうすれば痩せますよ」という前提があるからなのだ。
ここでも、費用(金銭だけでなく手間や心理的な負担も含む)と利益を天秤にかけた行動が背景にあるのだ。


健康食品も実は同じ考え方で捉えることができる。「食べるだけで健康になります」というのは、病気になったときの辛さや費用、その間に失われる社会生活の機会を考えるとそれに支払う費用は安いと考えられているのだ。さらに実際には効果がなくてもこれくらいの負担なら許容範囲、食品だから副作用はないだろうし、万が一効果があったら悔しいから保険の意味でと考えられているのだ。従って健康食品が問題になるのは、金銭的な負担が許容範囲を超えた場合、副作用が出た場合、などであろう。副作用の出ない安い健康食品は誰も問題にしないのだ。


結論
健康食品やダイエット法は支払う金銭よりも手間や心理的な負担を軽減する効能が大きいと考えられているからなくならないのである。それにはまる人が必ずしもリテラシーがないとはいえない。それなりに経済合理的に行動しているのだ。

*1:例えば脂肪の吸収を抑制すると謳う食品もあるが実際は効果がないとして問題になったケースなど

*2:そのような傾向があると捉えてほしい