『階級「断絶」社会アメリカ』を読む、その1

階級「断絶」社会アメリカ、本書は「ベルカーブ」で有名なチャールズ・マレーによるものであり、集大成でもある。アメリカの現状を分析したものであるが、日本の現状を考える上でも極めて有効な本であると思われる。
まとまりごとに簡単に要約し、明確にするため引用スタイルで記すことにした。自分の考えはその後に記すことにした。

プロローグ
1963年11月21日、ケネディ暗殺を境にアメリカの様子が大きく変わったことをまとめる。それ以前のアメリカにも階級はあったが、ケネディ暗殺以後、行動様式や価値観の核の部分で違う階級が生まれたとする。

マレーは本書の後半で知的能力で階級が別れていることを示したが、日本でも同じ現象はあるように考えている。人間の行動様式は、半分以上が遺伝的に規定される。どんな進路を選び、どんな職につき、どんな人と付き合うかは、周りから強制されるものではないからこそ、潜在的な遺伝の作用が大きく現れるのではないかと考える。どんな本を読み、どんな人と付き合うかこそ、ドーキンスの言う「延長された表現型」の典型だろう*1。職業についても、似たような考え方をする人間が集まりやすいだろうから、進化論的に考えてもある種のクラスターができやすいのは当然と思われる。

第I部 新上流階級の形成
マレーは第I部の冒頭で新上流階級の定義を試みる。単に資産があるというだけではなく、アメリカに対して大きな影響力を持ち、ある特定のところにまとまりがちで、他の集団から孤立しつつあるというものだ。

大きな影響力があるというのは、やはり何らかの知的な能力があることの裏返しだろうか。

第1章 わたしたちのような人々
以前は上流階級と言っても生活のスタイルは似たようなものだったが、新上流階級は食べ物、子育て等様々な点で違うことが論じられる。好むテレビ番組や余暇の過ごし方なども全く違う。

大多数の人の考えとは違い、アメリカでは貧困層に肥満が多いことや、日本での学歴の再生産の話題が頭に浮かぶ。また、どんな本を読むか、もっと単純に一ヶ月で何冊の本を読むかなども面白い指標になりそうである。どんな本を読むかは典型的な「延長された表現型」であり、別の学問領域の言葉で言えば「シグナル」でもあるから、現代のような豊かで選択肢の多い世の中だと、より「どのような人間であるか」がはっきりするのだと思う。

第2章 新上流階級形成の基盤
新上流階級が形成された原因として、頭脳の市場価値が上昇したこと、そのため知的な人々が高所得を得ることが可能になったこと、名門大学が形成の場として重要であることが示される。名門大学には、認知能力の似た人間が集まり、さらに同じような認知能力を持ち、同じような文化背景を持つもの同士が結婚し、子供も同じようなコースを歩むことが示される。

現在の社会科学では、人間は空白の石盤であるという前提があるようだが、知的能力や文化背景が違うものが結婚してもうまく行きにくいだろう。学歴の再生産は自然科学や遺伝と言った方面から見れば起こるべくして起こっていると言える。

第3章 新種の居住地分離
マレーは新上流階級の住んでいるところがクラスターを形成していることを示す。また、政治的な信条はリベラルに偏っているわけでもないことを示す。

どこに住むかは自由である。ならば、地価をシグナルとして自分にふさわしいところを探すのは当然のことのように思う。地価と自分の延長された表現型はある程度相関があるのだろう。

第4章 あなたのエリート・バブル度は?
マレーはいくつかの質問を通して新上流階級の特徴を浮き彫りにしようとする。新上流階級で生まれ育った人は他の社会を知らないという本書の重要な論点が登場する。

日本でも世襲政治家等はこのような点があるように思う。

第5章 新上流階級のプラス面
マレーは新上流階級が社会を引っ張り、豊かさをもたらしているとする。

イノベーションに限らず、知的な人々が要職に就き、社会を牽引していることは当然だと思う。学歴批判をする人の言い分にも耳を傾けるべき部分はあるが、常習犯罪者や粗暴犯のほとんどがあまり知的ではない事実から目をそらしてはならない。

*1:付き合う相手も延長された表現型としてこちらを選んでいるわけだから、個人の遺伝子プールと個人の遺伝子プールが相性が良いのだろう