未熟な人間

未熟な人間が判断したことの責任を問うことはできるのかという問いがある。方向を変えて成熟した人間の判断とはどんなものだろうと思う。例えば知識をとって考えてみよう。ハイエクの言うように知識は局在している。つまり何か判断を下すにあたって完全な知識は望むべくもない。従って判断は不正確になりがちである。これは頭のいいと思われがちな役人が国のために判断を下す場合も同じである。これからすると、自立した個人とは判断能力というよりは判断に伴い責任を引き受ける覚悟のようにも思える。