移民について色々考えてみた

知人の集まりで移民が話題に出たことがあり、色々と考えてみた。

ある人は、「文化を守るため、福祉へのただ乗りを制限するために移民を制限すべきだ」という。発言者は、移民を受ける側を中心に考えていることに注意。また、これは二つに分けて考えるべき発言でもある。
まず、文化を守るためというのは評価の難しい視点だ。個人的には、ゲーテッドコミュニティのような比較的規模の小さい自治体ならより強く出てくる意見だろうと思う。実際、slumlordさんが紹介されている「プライベートピア」では、コミュニティを管理する集団が「私的政府」のような状態になっていること、閉鎖性が強いこと、人種差別的な決まりがあることを批判的に取り上げている。ゲーテッドコミュニティ規模の自治体だと、均質性を守るための受け入れ制限、フリーライダーの排除は強く出てくるのも納得できる。
しかし移民を受け入れる側が都市レベルの自治体だと、移民による経済活動の活性化などを肯定的に捉える可能性もある。私見だが、自治体機能の民営化が進めば移民問題は契約問題と割り切ることができると考える。福祉サービスなどが民間の保険契約となっていればフリーライダーはあり得ないし、移民が犯罪を犯せば元の住民が契約している民間警備会社が効果的に移民を排除することだろう。きちんと契約を結んでまともに生活するのであれば、移民が排除されることもない上、福祉のただ乗りもあり得ないのである。
なお、この私見は「アメリカは建国のとき契約で成り立った」、「アメリカ国民はアメリカ国民であることを選びとる」という類いのことをどこかで読んだことがきっかけになっている。アメリカで生まれた人は意識することもないだろうし今となっては実感もないのだろうが、私にはそのことが強烈な印象になって残っているのだ。自治体機能を分割して民営化していくということを考え始めると、個々の民間企業を選び契約ということを意識せざるを得ない。そうなれば移民ではなくすべての人が「どのようなところでどのような会社と契約して生活するか」という問題に直面するのだ。
移民に対して肯定的な人の意見は、「移民する側の自由やチャンス」である。これも私の中では契約問題に帰結してしまう。

さて、移民から考えたことその2。
リバタリアニズムは、保守でもリベラル*1でもないが、かぶる部分は当然ある。移民で言えば、反対するのはどちらかと言えば保守だろうし、リベラルは移民する側の自由を重視するだろう。リバタリアニズムにはこの場合、移民する側の自由を擁護する意見が多いと思われる。逆に政府の大きさに付いては制限を主張するのは保守で、拡大を歓迎するのはリベラルだろう。リバタリアニズムは当然制限する側に立つことになる。
哲学・倫理的な視点や経済的な視点から離れて考えてみると、保守・リベラルというのは、人間行動の大事な特徴の一つであるように思う。たぶん、適切な尺度を選べばベルカーブで広がっていることだろう。アフリカを出発した人間は新しいことにチャレンジする傾向が強いはずで、現代の移民とそれを肯定する人は比較的そのような傾向を強く残す人たちなのだろう。保守とリベラルでどのような遺伝的な差異があるのか、これはなぜ人間が世界中に広まったのかと同じ問題だと思う。

最後に、移民から考えたことその3。
私は、都市の無名性、開放性を肯定する人間なのでanacapさんの意見にほぼ同意します。他人の所有権を侵害しない限り誰がどこで何をしようと構わないではないかと思うのです。

*1:昔風に言えば右翼と左翼