顕示選好

ある南の島が好きでそこに住みたいという人と話をした。実は私も南の島*1でのんびりしたいと思うことはある。生活の拠点は都市に置きたいのだけれど。
さて、この人にいつ頃移住の予定とか考えているのですかと聞くと夢なのだという。こんな話を聞くと、ひねくれ者の私は、「生活の便利さや仕事、子供の教育を考えると今住んでいる場所の方がはるかに魅力的」と考えているんだろうなぁ、なんて考えてしまう。本当にそこに住みたいなら、嫌々今の場所に住んでいることの説明がつかない。場所だけの比較ならともかく、その他のことを考慮に入れるとその南の島は住みたいところではないのである。
もっとも、顕示選好も人間が合理的という仮定が必要だから、皮肉にとどめた方がいいのだけれど。

上に書いたのは、顕示選好の考え方の入り口のお話だけれど、この考え方の応用範囲は広いように思う。田舎の商店街がシャッター通りになるのが問題だという人は、なぜそこに行って買い物をしないのだろう。お金にこだわるのはおかしいという人はなぜ働いてお金を受け取るのだろう。お金を卑しいものとする宗教はなぜ人々からお金を集めるのだろう*2

*1:三好和義の楽園シリーズに出てくるような

*2:10万年の世界経済史に教会が利子を禁じていながら貸し付けを行っていた旨の記載がある