都市とリバタリアニズム

参考文献 山岸俊男著 『「安心社会」から「信頼社会」へ』 より

『「安心社会」から「信頼社会」へ』で山岸は、知らない人を信頼する度合いがアメリカより日本の方が低い、ということを社会心理学的実験で実証している*1。また、本書において他者への信頼が高い人は、他人が信頼できるかどうかということについての情報に敏感な「社会的知性」が高い人だとされている。  それに対し他者への信頼が低い人は、最初から信頼度が低いので結果的に「本当に相手が信頼できない人」だとされている。つまり情報があってもあまり信頼度に変化がなく、情報に鈍感ということだ。更に他者を高く信頼する人は、他人との協力関係を積極的に追求することも言及されている。まさに他者への信頼が高い人は市場に参加する人と言い換えることができる。
これは都市と連帯意識の強い小規模集落でも同じ関係になると思う。小規模集落では、閉鎖的な環境を形成することにより、騙されることを回避する。このやり方では騙されることは少なくなるものの、閉鎖的なためコストが上がり、イノベーションも少なくなる。逆に都市では、市場の特徴たる「契約重視、オープン・ドライな関係」の結果、たまには騙されることもあるけれど、低価格で多様な物・サービスが手に入る。騙すような存在も完全にはなくならず、手を変え品を変え現れるが、一つ一つはしばらくたつと排除される。おそらく、かなりの数の日本人は、すぐ目につく違反行為が許せず、小規模連帯社会を懐かしむのかもしれない。しかし、多数が都市に居住しているという事実から、幾分は都市の信頼社会の要素を好み始めているようにも思われるのである*2
都市と市場の相性がいいことについては少し前に簡単に論じてみたことがある。ならば、市場の力を信じるリバタリアンと都市の相性もいいだろう。以前も書いたが、このようなつながりで少なくとも都市住民ならリバタリアニズムに多少理解を示してくれそうにも思うのだが、どうだろう。

*1:本書で日本人は個人主義的だという表現があるが、リバタリアンの言う個人主義とはニュアンスが違うことは指摘しておきたい。

*2:希望的観測かもしれないが